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芸術の定義とフレーム問題、
絵画の美と報酬系の設定
中ザワヒデキ(美術家/AI美芸研代表)
ミケランジェロ 《アダムの創造》 1510年
ミケランジェロ 《アダムの創造》 1510年
美学
感性的認識の学にして
芸術の理論である。
「美」が美学の目的。
(バウムガルテン、1750/58年)
「感性=美=芸術」
という三位一体が成立
(小田部胤久『西洋美学史』)
クールベ 《石割り》 1850年
クールベ 《石割り》 1850年
芸術と美の分離:
・「芸術」の目的は「美」
ではない
・もはや美しくない芸術
・醜悪美
・説得力
「感性≠美≠芸術」
三位一体の解体
(小田部胤久『西洋美学史』 )
ハイレッド・センター 《首都圏清掃整理促進運動》 1964年
ハイレッド・センター 《首都圏清掃整理促進運動》 1964年
「何? 芸術を見ただと。どこだそれは」
と言って警察が駆け込んで来たとしても、
はいこれが……、と数量的に示せるもので
はないのですよ、芸術は。芸術のスタイル
だけは公的に示されているにしても、芸術
そのものはそのスタイルの奥に隠されている
のです。
(赤瀬川原平『東京ミキサー計画』PARCO出版局、1984年、5頁)
ハイレッド・センター 《首都圏清掃整理促進運動》 1964年
「何? 芸術を見ただと。どこだそれは」
と言って警察が駆け込んで来たとしても、
はいこれが……、と数量的に示せるもので
はないのですよ、芸術は。芸術のスタイル
だけは公的に示されているにしても、芸術
そのものはそのスタイルの奥に隠されている
のです。
(赤瀬川原平『東京ミキサー計画』PARCO出版局、1984年、5頁)
芸術は
定義できない
ハイレッド・センター 《首都圏清掃整理促進運動》 1964年
「何? 芸術を見ただと。どこだそれは」
と言って警察が駆け込んで来たとしても、
はいこれが……、と数量的に示せるもので
はないのですよ、芸術は。芸術のスタイル
だけは公的に示されているにしても、芸術
そのものはそのスタイルの奥に隠されている
のです。
(赤瀬川原平『東京ミキサー計画』PARCO出版局、1984年、5頁)
芸術は
定義できない
“絵画”は定義できるとしても、
「絵画≠芸術(美?)」
芸術の定義とフレーム問題、絵画の美と報酬系の設定
人間にとっての芸術は、人工知能にとってのフレーム問題のようなものだ。芸
術とは何かが定義できればフレームが設定できる。ところが芸術は定義不能な
開かれた概念であり、または定義した途端に裏切られる宿命にある。しかもそ
の設定不能性が芸術の醍醐味でさえあるのだ。では絵画はどうか。絵画とは色
彩に覆われた平面であると定義すれば、フレームは設定できる。次なる課題は
どういう絵画が「美しい」かである。これは、絵を描く人工知能にどのような
報酬系を設定するかという問題に敷衍できるが、設定主体が人間である限り美
学に変更は無い。設定主体が人工知能の自律性に委ねられる時、激震が走る。
芸術の定義とフレーム問題、絵画の美と報酬系の設定
人間にとっての芸術は、人工知能にとってのフレーム問題のようなものだ。芸
術とは何かが定義できればフレームが設定できる。ところが芸術は定義不能な
開かれた概念であり、または定義した途端に裏切られる宿命にある。しかもそ
の設定不能性が芸術の醍醐味でさえあるのだ。では絵画はどうか。絵画とは色
彩に覆われた平面であると定義すれば、フレームは設定できる。次なる課題は
どういう絵画が「美しい」かである。これは、絵を描く人工知能にどのような
報酬系を設定するかという問題に敷衍できるが、設定主体が人間である限り美
学に変更は無い。設定主体が人工知能の自律性に委ねられる時、激震が走る。
フレーム問題
• 人工知能はフレーム(枠)の中でしか動けない。枠の外の事象に対処できない。
• フレーム問題は、今からしようとしていることに関係のあることがらだけを選び出すことが、実は非
常に難しいという問題。(人工知能学会サイト)
• 一般化フレーム問題は解決不能である(「一般化フレーム問題の提唱」松原仁)
• フレーム問題は人、コンピュータともに存在する。 人もコンピュータもフレーム問題は解けない。
人は解いているように見える(擬似解決)。
• 無限の情報処理能力主体以外はフレーム問題が解けない。したがって形式論理をいかに拡
張しようと、コネクショニズムだろうと、駄目である。にも拘わらず人間はフレーム問題にあまり迷
わない。フレームのかけ方が上手いからである。 知性の柔軟さを示しているといえる。
• 思考中の問題の定式化を変化させる。つまりフレームを変更することによって、人間はフレーム
問題に直面しない(擬似解決)。これがコンピュータにもできればほぼ知性だと筆者は思う。
• ちなみにフレーム問題は当然「強いAI」反対論には使えない。
芸術の定義とフレーム問題、絵画の美と報酬系の設定
人間にとっての芸術は、人工知能にとってのフレーム問題のようなものだ。芸
術とは何かが定義できればフレームが設定できる。ところが芸術は定義不能な
開かれた概念であり、または定義した途端に裏切られる宿命にある。しかもそ
の設定不能性が芸術の醍醐味でさえあるのだ。では絵画はどうか。絵画とは色
彩に覆われた平面であると定義すれば、フレームは設定できる。次なる課題は
どういう絵画が「美しい」かである。これは、絵を描く人工知能にどのような
報酬系を設定するかという問題に敷衍できるが、設定主体が人間である限り美
学に変更は無い。設定主体が人工知能の自律性に委ねられる時、激震が走る。
芸術の定義とフレーム問題、絵画の美と報酬系の設定
人間にとっての芸術は、人工知能にとってのフレーム問題のようなものだ。芸
術とは何かが定義できればフレームが設定できる。ところが芸術は定義不能な
開かれた概念であり、または定義した途端に裏切られる宿命にある。しかもそ
の設定不能性が芸術の醍醐味でさえあるのだ。では絵画はどうか。絵画とは色
彩に覆われた平面であると定義すれば、フレームは設定できる。次なる課題は
どういう絵画が「美しい」かである。これは、絵を描く人工知能にどのような
報酬系を設定するかという問題に敷衍できるが、設定主体が人間である限り美
学に変更は無い。設定主体が人工知能の自律性に委ねられる時、激震が走る。
内田巌 《歌声よ起これ(文化を守る人々)》 1948年
芸術とは何かが定義できればフレームが設定できる。
東宝争議を称えたプロレタリア絵画(戦争責任回避)。
第2回日本アンデパンダン展出品作。
日本アンデパンダン展
共産党色が強く、左翼的スローガンを左翼的評価軸に
沿って優等生的に描くリアリズム絵画の牙城
↑
↓
読売アンデパンダン展
前衛美術との相性が良い
既成画壇からの踏みだしが意図されていた
芸術の定義とフレーム問題、絵画の美と報酬系の設定
人間にとっての芸術は、人工知能にとってのフレーム問題のようなものだ。芸
術とは何かが定義できればフレームが設定できる。ところが芸術は定義不能な
開かれた概念であり、または定義した途端に裏切られる宿命にある。しかもそ
の設定不能性が芸術の醍醐味でさえあるのだ。では絵画はどうか。絵画とは色
彩に覆われた平面であると定義すれば、フレームは設定できる。次なる課題は
どういう絵画が「美しい」かである。これは、絵を描く人工知能にどのような
報酬系を設定するかという問題に敷衍できるが、設定主体が人間である限り美
学に変更は無い。設定主体が人工知能の自律性に委ねられる時、激震が走る。
芸術の定義とフレーム問題、絵画の美と報酬系の設定
人間にとっての芸術は、人工知能にとってのフレーム問題のようなものだ。芸
術とは何かが定義できればフレームが設定できる。ところが芸術は定義不能な
開かれた概念であり、または定義した途端に裏切られる宿命にある。しかもそ
の設定不能性が芸術の醍醐味でさえあるのだ。では絵画はどうか。絵画とは色
彩に覆われた平面であると定義すれば、フレームは設定できる。次なる課題は
どういう絵画が「美しい」かである。これは、絵を描く人工知能にどのような
報酬系を設定するかという問題に敷衍できるが、設定主体が人間である限り美
学に変更は無い。設定主体が人工知能の自律性に委ねられる時、激震が走る。
『月刊美術』
2013年8月号、
48-49頁。
芸術の定義とフレーム問題、絵画の美と報酬系の設定
人間にとっての芸術は、人工知能にとってのフレーム問題のようなものだ。芸
術とは何かが定義できればフレームが設定できる。ところが芸術は定義不能な
開かれた概念であり、または定義した途端に裏切られる宿命にある。しかもそ
の設定不能性が芸術の醍醐味でさえあるのだ。では絵画はどうか。絵画とは色
彩に覆われた平面であると定義すれば、フレームは設定できる。次なる課題は
どういう絵画が「美しい」かである。これは、絵を描く人工知能にどのような
報酬系を設定するかという問題に敷衍できるが、設定主体が人間である限り美
学に変更は無い。設定主体が人工知能の自律性に委ねられる時、激震が走る。
芸術の定義とフレーム問題、絵画の美と報酬系の設定
人間にとっての芸術は、人工知能にとってのフレーム問題のようなものだ。芸
術とは何かが定義できればフレームが設定できる。ところが芸術は定義不能な
開かれた概念であり、または定義した途端に裏切られる宿命にある。しかもそ
の設定不能性が芸術の醍醐味でさえあるのだ。では絵画はどうか。絵画とは色
彩に覆われた平面であると定義すれば、フレームは設定できる。次なる課題は
どういう絵画が「美しい」かである。これは、絵を描く人工知能にどのような
報酬系を設定するかという問題に敷衍できるが、設定主体が人間である限り美
学に変更は無い。設定主体が人工知能の自律性に委ねられる時、激震が走る。
『月刊美術』
2013年8月号、
48-49頁。
芸術の定義とフレーム問題、絵画の美と報酬系の設定
人間にとっての芸術は、人工知能にとってのフレーム問題のようなものだ。芸
術とは何かが定義できればフレームが設定できる。ところが芸術は定義不能な
開かれた概念であり、または定義した途端に裏切られる宿命にある。しかもそ
の設定不能性が芸術の醍醐味でさえあるのだ。では絵画はどうか。絵画とは色
彩に覆われた平面であると定義すれば、フレームは設定できる。次なる課題は
どういう絵画が「美しい」かである。これは、絵を描く人工知能にどのような
報酬系を設定するかという問題に敷衍できるが、設定主体が人間である限り美
学に変更は無い。設定主体が人工知能の自律性に委ねられる時、激震が走る。
馬場省吾 《なぜ芸術ではないのか》
2010年 テキスト、動画
• 「自作声楽曲を歌うことはなぜ芸術ではないのか」
• 「缶コーヒーの缶を投げることはなぜ芸術ではないのか」
• 「歯を磨くことはなぜ芸術ではないのか」
• 「ビニール傘を差すことはなぜ芸術ではないのか」
• 「時報を聞くことはなぜ芸術ではないのか」
• 「三角コーンを逆さに立てることはなぜ芸術ではないのか」
• 「逆さに立てた三角コーンに缶コーヒーの缶を入れることはなぜ芸術ではないの
か」
• 「立て看板を倒すことはなぜ芸術ではないのか」
• 「脚立に登って降りることはなぜ芸術ではないのか」
馬場省吾 《なぜ芸術ではないのか》
2010年 テキスト、動画 「三角コーンを逆さに立てることはなぜ芸術ではないのか」
馬場省吾 《なぜ芸術ではないのか》
2010年 テキスト、動画 「逆さに立てた三角コーンに缶コーヒーの缶を入れることはなぜ芸術ではないのか」
馬場省吾 《なぜ芸術ではないのか》
2010年 テキスト、動画 「立て看板を倒すことはなぜ芸術ではないのか」
馬場省吾 《なぜ芸術ではないのか》
2010年 テキスト、動画 「脚立に登って降りることはなぜ芸術ではないのか」
馬場省吾 《なぜ芸術ではないのか》
2010年 テキスト、動画
• 「椅子に座ることはなぜ芸術ではないのか」
• 「椅子に釘を打ち込むことはなぜ芸術ではないのか」
• 「2008年9月6日土曜日20時11分のメモを壁に貼り付けた紙に書くことはな
ぜ芸術ではないのか」
• 「床に水を撒くことはなぜ芸術ではないのか」
• 「床に撒いた水の上を歩くことはなぜ芸術ではないのか」
• 「照明を変えることはなぜ芸術ではないのか」
• 「無言で歩くことはなぜ芸術ではないのか」
• 「測量することはなぜ芸術ではないのか」
• 「紙を破ることはなぜ芸術ではないのか」
馬場省吾 《なぜ芸術ではないのか》
2010年 テキスト、動画
• 一週間の展示期間中、私はずっとこのギャラリーにいなければいけない。
• 私は今、個展を開催中であるが、この個展は自分が「これが芸術である」として出品している
作品のみがある。私は制作意図が明確な言葉によって説明できるもの以外は、作品として制
作しない。(中略)
• 「芸術とはなにか」という疑問は、芸術の定義化に向いている。芸術の明確な定義化に強く関
連することとして、芸術における規範と形式がある。かつて、規範や形式が明瞭であった時代
があったが、現代はそれをあえて拒否する形のものも少なくない。形式を保ちつつ規範を侵犯
する芸術、つまり規範それ自体が「反芸術」である芸術すら、20世紀前半から存在する。規
範と形式の定言化が、芸術の定義に等しい。それらが造語という形で新たに作り出されること
も多々ある。20世紀以降に多くある「~主義」や「~芸術」は、規範と形式を新たに作り出し、
今までのそれとの峻別を図るためである。
馬場省吾 《なぜ芸術ではないのか》
2010年 テキスト、動画
• ギャラリーそれ自体も、ある規範に則った形式である。しかし、ギャラリーという形式とそれを支える規
範のみでは芸術は成り立つことはない。(中略)
• 今このギャラリーで出品している私の芸術作品には、過去より継承されて現代によって再考された
規範と、その規範から演繹される再考された形式があるとしている。だからこそ、「私の芸術」ではな
く、「芸術」であると自負している。それ以外は、「芸術」でも、「私の芸術」でもないし、そこには観客
も存在しない。(中略)過去の規範を継承しない無規範であることと、私の生み出したものが私
によって芸術ではないと否定されることで、それは芸術である余地を完全に失う。
• インターネットに動画をアップロードすることで、ギャラリーという形式を保持しているのみで、私自身に
よって失われた「芸術性」を、観客によって取り戻すことが出来るのか。(中略)
• 2010年3月26日
芸術の定義とフレーム問題、絵画の美と報酬系の設定
人間にとっての芸術は、人工知能にとってのフレーム問題のようなものだ。芸
術とは何かが定義できればフレームが設定できる。ところが芸術は定義不能な
開かれた概念であり、または定義した途端に裏切られる宿命にある。しかもそ
の設定不能性が芸術の醍醐味でさえあるのだ。では絵画はどうか。絵画とは色
彩に覆われた平面であると定義すれば、フレームは設定できる。次なる課題は
どういう絵画が「美しい」かである。これは、絵を描く人工知能にどのような
報酬系を設定するかという問題に敷衍できるが、設定主体が人間である限り美
学に変更は無い。設定主体が人工知能の自律性に委ねられる時、激震が走る。
芸術の定義とフレーム問題、絵画の美と報酬系の設定
人間にとっての芸術は、人工知能にとってのフレーム問題のようなものだ。芸
術とは何かが定義できればフレームが設定できる。ところが芸術は定義不能な
開かれた概念であり、または定義した途端に裏切られる宿命にある。しかもそ
の設定不能性が芸術の醍醐味でさえあるのだ。では絵画はどうか。絵画とは色
彩に覆われた平面であると定義すれば、フレームは設定できる。次なる課題は
どういう絵画が「美しい」かである。これは、絵を描く人工知能にどのような
報酬系を設定するかという問題に敷衍できるが、設定主体が人間である限り美
学に変更は無い。設定主体が人工知能の自律性に委ねられる時、激震が走る。
芸術の定義とフレーム問題、絵画の美と報酬系の設定
人間にとっての芸術は、人工知能にとってのフレーム問題のようなものだ。芸
術とは何かが定義できればフレームが設定できる。ところが芸術は定義不能な
開かれた概念であり、または定義した途端に裏切られる宿命にある。しかもそ
の設定不能性が芸術の醍醐味でさえあるのだ。では絵画はどうか。絵画とは色
彩に覆われた平面であると定義すれば、フレームは設定できる。次なる課題は
どういう絵画が「美しい」かである。これは、絵を描く人工知能にどのような
報酬系を設定するかという問題に敷衍できるが、設定主体が人間である限り美
学に変更は無い。設定主体が人工知能の自律性に委ねられる時、激震が走る。
ハイレッド・センター 《首都圏清掃整理促進運動》 1964年
「何? 芸術を見ただと。どこだそれは」
と言って警察が駆け込んで来たとしても、
はいこれが……、と数量的に示せるもので
はないのですよ、芸術は。芸術のスタイル
だけは公的に示されているにしても、芸術
そのものはそのスタイルの奥に隠されている
のです。
(赤瀬川原平『東京ミキサー計画』PARCO出版局、1984年、5頁)
芸術は
定義できない
“絵画”は定義できるとしても、
「絵画≠芸術(美?)」
絵画とは色彩に覆われた平面である
• 「絵画とは、裸婦とか軍馬とか何らかの逸話である以前に、何よりもま
ず、ある一定の秩序のもとに集められた色彩によって覆われた平坦な
面である」(ドニ、1900年)
• 抽象芸術に至る純粋美術の奥義として後々まで繰り返し引用される
• 抽象絵画の誕生 1913年頃:「芸術では無い」との罵倒多し
• 1913年以前、抽象絵画(という概念も無い)は芸術では無かった
• 絵画のフレームと芸術のフレームが異なる:絵画だが芸術でない
• 1913年:「芸術(=美?)」のフレームの拡大が起きた
ドニ 《踊る女たち》 1905年
カンディンスキー 《コンポジションVIIのための習作》 1913年
芸術の定義とフレーム問題、絵画の美と報酬系の設定
人間にとっての芸術は、人工知能にとってのフレーム問題のようなものだ。芸
術とは何かが定義できればフレームが設定できる。ところが芸術は定義不能な
開かれた概念であり、または定義した途端に裏切られる宿命にある。しかもそ
の設定不能性が芸術の醍醐味でさえあるのだ。では絵画はどうか。絵画とは色
彩に覆われた平面であると定義すれば、フレームは設定できる。次なる課題は
どういう絵画が「美しい」かである。これは、絵を描く人工知能にどのような
報酬系を設定するかという問題に敷衍できるが、設定主体が人間である限り美
学に変更は無い。設定主体が人工知能の自律性に委ねられる時、激震が走る。
芸術の定義とフレーム問題、絵画の美と報酬系の設定
人間にとっての芸術は、人工知能にとってのフレーム問題のようなものだ。芸
術とは何かが定義できればフレームが設定できる。ところが芸術は定義不能な
開かれた概念であり、または定義した途端に裏切られる宿命にある。しかもそ
の設定不能性が芸術の醍醐味でさえあるのだ。では絵画はどうか。絵画とは色
彩に覆われた平面であると定義すれば、フレームは設定できる。次なる課題は
どういう絵画が「美しい」かである。これは、絵を描く人工知能にどのような
報酬系を設定するかという問題に敷衍できるが、設定主体が人間である限り美
学に変更は無い。設定主体が人工知能の自律性に委ねられる時、激震が走る。
芸術の定義とフレーム問題、絵画の美と報酬系の設定
人間にとっての芸術は、人工知能にとってのフレーム問題のようなものだ。芸
術とは何かが定義できればフレームが設定できる。ところが芸術は定義不能な
開かれた概念であり、または定義した途端に裏切られる宿命にある。しかもそ
の設定不能性が芸術の醍醐味でさえあるのだ。では絵画はどうか。絵画とは色
彩に覆われた平面であると定義すれば、フレームは設定できる。次なる課題は
どういう絵画が「美しい」かである。これは、絵を描く人工知能にどのような
報酬系を設定するかという問題に敷衍できるが、設定主体が人間である限り美
学に変更は無い。設定主体が人工知能の自律性に委ねられる時、激震が走る。
芸術の定義とフレーム問題、絵画の美と報酬系の設定
人間にとっての芸術は、人工知能にとってのフレーム問題のようなものだ。芸
術とは何かが定義できればフレームが設定できる。ところが芸術は定義不能な
開かれた概念であり、または定義した途端に裏切られる宿命にある。しかもそ
の設定不能性が芸術の醍醐味でさえあるのだ。では絵画はどうか。絵画とは色
彩に覆われた平面であると定義すれば、フレームは設定できる。次なる課題は
どういう絵画が「美しい」かである。これは、絵を描く人工知能にどのような
報酬系を設定するかという問題に敷衍できるが、設定主体が人間である限り美
学に変更は無い。設定主体が人工知能の自律性に委ねられる時、激震が走る。
唯物論的美意識発生仮説
• 自然知能における(=人工知能における)美意識の発生機序
• ここでの美は「役立たない」もの。真善美のそれぞれは互いに独立し、それ
ぞれ固有の価値を持つ。すなわち美は、それだけで価値を持つ。
• 前提理論:山川宏「強化学習の本質は価値予測」「主目標の為に副
目標が自動生成される」「方法の目的化が起こる」 … …方法=目的が
それだけで価値を持つ。
• 仮説:主目標が遺伝子の保全(ドーキンス)に見える機構が、唯物論
的にエントロピーの増大に逆らい地上に蔓延り進化の原動力となる
唯物論的美意識発生仮説
• 主目標:遺伝子の保全(ドーキンス『利己的な遺伝子』)
• →副目標:個体ならびに近親者の生存
• →副目標:個体ならびに近親者の自己複製
• ・・・・・・・・・・化学物質から生物への進化、下等生物から高等生物への進化
• →→副々目標:集団内での競争(異性獲得の為の美意識的なもの)
• →→副々目標:集団全体の拡大再生産的発展(集団IDの美意識的なもの)
• ・・・・・・・・・・高等生物からヒトへの進化
唯物論的美意識発生仮説
• 仮説追加:「生成された副目標は、主目標と矛盾しない限り淘汰されない」「主目
標、副目標、副々目標、副々々目標、…の間に主副のヒエラルキーは(無意識下
では)無い」「ヒトは伝聞的知識からも目標を生成できる(歴史から学べる)」
• 「目標:国王(や神)を称えるための技術」=「美しい技術」=「芸術」 の発生
• 技術と芸術の分離…1王権(神権)失墜 2写真の登場
• しかし存続…1既成権威によらずそれ自体で権威 2実用によらずそれ自体で価値
• 芸術の自律性…芸術の為の芸術
• 芸術と娯楽の分離(揶揄対象としてのイラスト、劇伴、売文)
芸術の定義とフレーム問題、絵画の美と報酬系の設定
人間にとっての芸術は、人工知能にとってのフレーム問題のようなものだ。芸
術とは何かが定義できればフレームが設定できる。ところが芸術は定義不能な
開かれた概念であり、または定義した途端に裏切られる宿命にある。しかもそ
の設定不能性が芸術の醍醐味でさえあるのだ。では絵画はどうか。絵画とは色
彩に覆われた平面であると定義すれば、フレームは設定できる。次なる課題は
どういう絵画が「美しい」かである。これは、絵を描く人工知能にどのような
報酬系を設定するかという問題に敷衍できるが、設定主体が人間である限り美
学に変更は無い。設定主体が人工知能の自律性に委ねられる時、激震が走る。
芸術の定義とフレーム問題、絵画の美と報酬系の設定

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人工知能・美学・芸術 - 「機械美学/機械芸術」に至る道程 (文化庁メ芸愛知展トークセッション)
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軍事力は芸術価値をも決定する(第8回AI美芸研)
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芸術の定義とフレーム問題、絵画の美と報酬系の設定

Editor's Notes

  1. お待たせいたしました。玉川大学工学部・脳科学研究所の大森隆司からは「感情と価値」、ドワンゴ人工知能研究所所長、全脳アーキテクチャ・イニシアティブの山川宏からは「創造性はいかに実装しうるか」と題した講演を頂き、全脳的立場から美学や芸術の根幹に肉薄します。
  2. 始める前にここ美学校について少し触れます。1969年創立で、赤瀬川原平や中西夏之、菊畑茂久馬、松澤宥といった前衛芸術家たちがかつては講座を担当し、21世紀に入ってからは会田誠の門下からチンポムが輩出する等
  3. いまABC中村さんから説明があったように人工知能美学芸術研究会、略称AI美芸研、ここは公式サイト
  4. いまABC中村さんから説明があったように人工知能美学芸術研究会、略称AI美芸研、ここは公式サイト
  5. 程度の差でしかない。ということは、人工知能が疑似解決をうまくこなすようになれば、人間よりうまくこなすようになるという可能性がある。ということは、人間にとっての芸術の諸問題を、人工知能のほうがうまくこなすようになるということがあり得る。
  6. 報酬と価値