青森県立郷土館土曜セミナー「青森市内風景の考現学的考察」
- 2. 考現学とは? 「『考現学』と称したかったのは、考古学に対立した いという意識からである。古代の遺跡遺物の研究は、明 らかに科学的方法の学たる考古学にまで進化しているの にたいして、現代のものの研究には、ほとんど科学的に なされていないうらみがあるから、その方法の確立を試 みるつもりで企てたかったのである。(中略) ……そして対象とされるものは、現在われわれが眼前 に見るものであり、そうして窮めたいと思うものは人類 の現在である。そして考古学における史学と対立される ものとして、考現学においては社会学が当てられるであ ろう。すなわちそれは社会学の補助学として役だつもの だといいたいのである。」 〔「考現学とは何か」今和次郎著( 1927 年 10 月)〕
- 61. 上:昭和 7 年 8 月桂井節郎作、中:昭和 7 年 12 月吉田初三郎作、下:昭和 24 年吉田初三郎作
- 63. 戦前・昭和 15 ( 1940 )年 の東北地方の都市人口 仙台市 223,630 人 青森市 99,065 人 盛岡市 79,479 人 山形市 69,184 人 秋田市 61,791 人 福島市 48,287 人 戦前は人口規模で 東北地方第2の都市 戦後・昭和 22 年、青森市 の人口は 90,821 人に減少 他の都市は 1.5 倍程度に 急増している。 総務省統計局データによる