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第 24 回日本義肢装具士協会学術大会
3Dプリント電動義手の全国的な普及に向
けて~開発、法制、ネットワーク~	
 
	
 
キーワード:情報と機会の不足、趣味性の高い義
手、グレーゾーン	
 
○近藤玄大 1)
	
 	
 
1)	
 特定非営利活動法人 Mission	
 ARM	
 Japan	
 	
 
	
 
1.はじめに	
 
	
  3Dプリンタを活用した義手に関心が寄せられるよ
うになって久しい。国内では exiii 株式会社が開発し
た HACKberry1)
や、吉川らが開発し、ダイヤ工業株式会
社より販売中の finch2)
などが知られている。	
 
	
  では、3Dプリント義手は既存の義手を置き換える
のだろうか。	
 
	
  この問いは複雑である。まず、この問いの背景には、
技術、法制、インフラ、ビジネスなどいくつもの側面
が交錯している。次に、立場や文脈によって「義手」
の解釈が異なる。義肢装具士法や障害者総合支援法に
定められる補装具としての義手は、日常生活動作を補
い、就労・就学の機会を与えることを目的とする。し
かし、パラリンピックが象徴するように、スポーツ、
音楽、ファッションなど趣味性の高い活動も、障害者
が生き生きと暮らすためには軽視できない。	
 
	
  このように複合的な問題をどう考えるべきか。避け
たいのは、問いのある側面だけを投影して短絡的に評
価してしまうことである。3Dプリント義手のポジテ
ィブな面はメディアに過剰に取り上げられがちだ。し
かし、製品の耐久性やアフターサポート体制の構築な
ど、業界として注意すべき課題も多々残る。	
 
	
  本稿では議論の出発点を一人の実体験に置く。M氏
は3Dプリント義手および保険支給された筋電義手の
両方を使ってきた。彼の体験と照らし合わせながら、	
 
「既存の義手・システムに対する相対評価」および「新
規の義手・システムとしての絶対評価」を意識的に区
別し、3Dプリント義手と業界の今後について考える。	
 
	
 
2.3Dプリント義手の可能性:M氏の場合	
 
2-1.既存システムの問題点	
 
	
  M氏は労働中の事故に遭い2013年1月に右腕を
損傷した。彼の事故後の経緯を図1にまとめた。事故
から筋電義手の支給まで2年以上の月日を要したのに
は、	
 [陳 09]3)
でも指摘の通り、以下の問題が影響して
いるだろう。	
 
- 救急病院に筋電義手に関する十分な知識がない	
 
- 公的支給制度が煩雑であり、最新の情報が地方ま
で行き届いていない	
 
また、支給決定後もすぐに日常的に利用できる状態に
はならなかった。再採型や海外で修理する必要があっ
たからだ。この背景には以下の問題が潜む。	
 
- 義肢装具士が義手を製作する機会が少ない	
 
- 国内に迅速な修理体制が敷かれていない	
 
	
  このように、既存システムは情報と機会に乏しい。
遍く筋電義手を届けるには、多くの関係者が筋電義手	
 
	
 
図1	
  M氏の事故後の経緯.	
 
	
 
	
 
図2	
  3Dスキャナ、スマホアプリを試す様子.	
 	
 
	
 
の技術や知識にもっと触れなければならない。これは、
価格や制度の課題とは分けて考えるべき問題である。	
 
	
 
2-2.既存システムにおける3Dプリント義手の利点	
 
	
  M氏は公的支給制度に並行して、2014年3月よ
り exiii 社が提供する3Dプリント義手のテストユー
ザーを担ってきた。3Dスキャナによる採型やスマホ
アプリによる筋電訓練(図2)を試しながら、12月
には3Dプリント義手を実際に装着してデモを行って
いる。このように、3Dプリント義手を早くから試す
ことで、以下の通り、義手の既存システムを補完する
いくつかの効果が観察された。	
 
- リハ施設での筋電の訓練をすぐに修了できた	
 
- デモを通じて早くに社会との接点を持てた	
 
- 就寝時などに3Dプリントされたソケットを装着
することで幻肢痛が和らいだ	
 
	
  これらは、最終製品としての議論とは切り離して評
価すべき点である。	
 
	
 
3.3Dプリント義手は既存の義手を置き換えるのか	
 
	
  義手の支給には、ユーザー、製作所、メーカー、病
院、自治体などの様々な人が関わる。それぞれの立場
を尊重しつつ、3Dプリント義手を実用化していくに
は、どのような考え方と活動が必要なのだろうか。	
 
3-1.	
 そもそも補装具なのか	
 
	
  3Dプリンタは設計の可能性を広げ、同時に義手の
定義も広げた。この認識がまず重要である。
第 24 回日本義肢装具士協会学術大会
	
  現在、M氏は支給された筋電義手と3Dプリント義
手 HACKberry とを、それぞれ作業用、ファッション用
として使い分けている。歌手である別のユーザーはラ
イブ時のジェスチャー用に HACKberry を活用している
(図3)。これらの事例では、義手は必ずしも日常生活
動作を補うために存在しない。	
 
	
  無論、日常生活動作を補う義手は必須だ。同じ3D
プリント義手でも、finch などはこの目的に沿ってコ
ストダウンや装着簡易化を図り設計されている。	
 
	
  新種の義手を評価する際は、従来の義手の定義に固
執せず、その使用目的を幅広く捉える意識が大切だ。	
 
	
 
3-2.	
 義肢装具士は不要か	
 
	
  義手の選択肢を広げていくためには“手先”をつく
るエンジニア/デザイナーと“ソケット”をつくる義
肢装具士が連携していかなければならない。	
 
	
  M氏のように義肢装具士が介在せずに3Dスキャナ
を用いてソケットが完成した事例は確かにある。ただ、
彼の断端形状は長く単純だ。短断端、上腕切断、小児
など形状が複雑な場合、可動域や懸垂性など背反する
要求をすべて満たすソケットをつくるには、これまで
通り、義肢装具士の経験と技能は欠かせない。	
 
	
 
3-3.	
 うちは儲かるのか	
 
	
  全国的に3Dプリント義手を普及させていくために
は、既存の商流の中にいる様々な関係者の協力が必要
だ。ただし、義手の届け方は多様化していくであろう。
その理由は大きく二点ある。	
 
1) 3Dプリント義手はユーザー自身がその全部もし
くは一部をつくれてしまう	
 
2) 趣味性の高い義手は必ずしも価格表に載らない	
 
	
  例えば、HACKberry は web 上に公開中のデータを用
いてユーザー自ら組み立てることができる。費用は5
万円程度だ。ただしソケットは含まれない。なので、
ユーザーは義肢装具士に対して、自作した HACKberry
に合うソケットのみを製作してほしいと頼むようにな
るかもしれない。この場合、「ソケットの製作」、「ソケ
ットの補修」、「HACKberry(手先)の補修」などの工程
が既存の商流から切り出され、自費負担のサービスと
して自由競争のもと提供されても良いのではないか。	
 
	
  このように、従来の福祉としての商流を維持しなが	
 
ら、その範疇を越えた商流も整えていくべきだろう。	
 
	
 
4.グレーゾーンを越えていくには	
 
	
  本稿では、3Dプリント義手は既存システムの欠陥
を補うものであり、また同時に、従来とは異なる価値
観や商流を築き得るものであることを訴えてきた。し
かしながら、その理想が現行の法律と必ずしも符合し
ているわけではない。例えば、自作した3Dプリント
義手を使って車を運転し交通事故を起こした場合、誰
の責任となるのか。製造や流通の工程を個人が流動的
に分担できるようになると責任の所在は分かりづらく
なる。また、趣味性が高くとも義手は飽くまで身体に
装着する機器であり、医療的なリスクを抱える。これ
を明確に許す法律も禁ずる法律も現状存在しない。	
 
	
 
図3	
  趣味性の高い義手の使われ方.	
 
	
 
	
 
図4	
  Mission	
 ARM	
 Japan が開催する体験会/勉強会.	
 
	
 
図5	
  Mission	
 ARM	
 Japan のネットワーク.	
 
	
 
	
  このようなグレーゾーンを越えていくための第一歩
は個々人の視野を広げることだろう。前向きに視野を
広げるためには、実体験を伴うことが望ましい。	
 
	
  筆者が所属する NPO 法人 Mission	
 ARM	
 Japan では、
当事者が3Dプリント義手を体験したり、医療関係者
が HACKberry 製作に必要な電子工作を学んだりできる
場を設けている(図4)。また、当事者やエンジニアや
医療関係者が自由に意見を交換できるネットワークを
全国的に展開している(図5)。	
 
	
  本稿で述べてきた内容は実践的には脆さを伴う。と
は言え「保守的な業界だから」と簡単に諦めてしまう
のも勿体無い。立場を越えた交流を通じ、個々人の中
にある保守性と革新性の両方を研鑽し、時代に合った
ルールを少しずつ形づくっていきたい。	
 
	
 
参考文献	
 
1)	
 近藤玄大:	
 3D プリンタでつくるオープンソース電
動義手,	
 PO アカデミージャーナル,	
 vol.24,	
 No.4,	
 
pp.240-244,	
 2017.	
 
2)	
 吉川雅博ほか:	
 機能性とデザイン性を考慮した軽
量・低コストの対抗 3 指義手,	
 日本ロボット学会誌	
 
Vol.32,	
 No.5,	
 pp.456-463,	
 2014.	
 
3)	
 陳隆明:	
 義手の可能性-従来の義手と筋電義手-,	
 
The	
 Japanese	
 Journal	
 of	
 Rehabilitation	
 Medicine,	
 
vol.47,	
 No.1,	
 pp33-41,	
 2010.

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  • 2. 第 24 回日本義肢装具士協会学術大会 現在、M氏は支給された筋電義手と3Dプリント義 手 HACKberry とを、それぞれ作業用、ファッション用 として使い分けている。歌手である別のユーザーはラ イブ時のジェスチャー用に HACKberry を活用している (図3)。これらの事例では、義手は必ずしも日常生活 動作を補うために存在しない。 無論、日常生活動作を補う義手は必須だ。同じ3D プリント義手でも、finch などはこの目的に沿ってコ ストダウンや装着簡易化を図り設計されている。 新種の義手を評価する際は、従来の義手の定義に固 執せず、その使用目的を幅広く捉える意識が大切だ。 3-2. 義肢装具士は不要か 義手の選択肢を広げていくためには“手先”をつく るエンジニア/デザイナーと“ソケット”をつくる義 肢装具士が連携していかなければならない。 M氏のように義肢装具士が介在せずに3Dスキャナ を用いてソケットが完成した事例は確かにある。ただ、 彼の断端形状は長く単純だ。短断端、上腕切断、小児 など形状が複雑な場合、可動域や懸垂性など背反する 要求をすべて満たすソケットをつくるには、これまで 通り、義肢装具士の経験と技能は欠かせない。 3-3. うちは儲かるのか 全国的に3Dプリント義手を普及させていくために は、既存の商流の中にいる様々な関係者の協力が必要 だ。ただし、義手の届け方は多様化していくであろう。 その理由は大きく二点ある。 1) 3Dプリント義手はユーザー自身がその全部もし くは一部をつくれてしまう 2) 趣味性の高い義手は必ずしも価格表に載らない 例えば、HACKberry は web 上に公開中のデータを用 いてユーザー自ら組み立てることができる。費用は5 万円程度だ。ただしソケットは含まれない。なので、 ユーザーは義肢装具士に対して、自作した HACKberry に合うソケットのみを製作してほしいと頼むようにな るかもしれない。この場合、「ソケットの製作」、「ソケ ットの補修」、「HACKberry(手先)の補修」などの工程 が既存の商流から切り出され、自費負担のサービスと して自由競争のもと提供されても良いのではないか。 このように、従来の福祉としての商流を維持しなが ら、その範疇を越えた商流も整えていくべきだろう。 4.グレーゾーンを越えていくには 本稿では、3Dプリント義手は既存システムの欠陥 を補うものであり、また同時に、従来とは異なる価値 観や商流を築き得るものであることを訴えてきた。し かしながら、その理想が現行の法律と必ずしも符合し ているわけではない。例えば、自作した3Dプリント 義手を使って車を運転し交通事故を起こした場合、誰 の責任となるのか。製造や流通の工程を個人が流動的 に分担できるようになると責任の所在は分かりづらく なる。また、趣味性が高くとも義手は飽くまで身体に 装着する機器であり、医療的なリスクを抱える。これ を明確に許す法律も禁ずる法律も現状存在しない。 図3 趣味性の高い義手の使われ方. 図4 Mission ARM Japan が開催する体験会/勉強会. 図5 Mission ARM Japan のネットワーク. このようなグレーゾーンを越えていくための第一歩 は個々人の視野を広げることだろう。前向きに視野を 広げるためには、実体験を伴うことが望ましい。 筆者が所属する NPO 法人 Mission ARM Japan では、 当事者が3Dプリント義手を体験したり、医療関係者 が HACKberry 製作に必要な電子工作を学んだりできる 場を設けている(図4)。また、当事者やエンジニアや 医療関係者が自由に意見を交換できるネットワークを 全国的に展開している(図5)。 本稿で述べてきた内容は実践的には脆さを伴う。と は言え「保守的な業界だから」と簡単に諦めてしまう のも勿体無い。立場を越えた交流を通じ、個々人の中 にある保守性と革新性の両方を研鑽し、時代に合った ルールを少しずつ形づくっていきたい。 参考文献 1) 近藤玄大: 3D プリンタでつくるオープンソース電 動義手, PO アカデミージャーナル, vol.24, No.4, pp.240-244, 2017. 2) 吉川雅博ほか: 機能性とデザイン性を考慮した軽 量・低コストの対抗 3 指義手, 日本ロボット学会誌 Vol.32, No.5, pp.456-463, 2014. 3) 陳隆明: 義手の可能性-従来の義手と筋電義手-, The Japanese Journal of Rehabilitation Medicine, vol.47, No.1, pp33-41, 2010.