乱世の奸雄・魏王曹操死す
- 2. 第 60 集 曹操之死(曹操、ついに病没す) 2009.9.10 更新
―「3 時間で~」第 61、62 話参照
チャプター① 長江を一艘の帆船が行く。 「荊
馬良と伊籍(関羽の使者)が劉備と孔明のもとに来て、
州は陥落し、関羽が苦戦しています」と告げる~
チャプター② 張昭が孫権に「劉備が曹操と組んで呉を攻めるのを防ぐため、関羽の首をとりあえ
ず曹操に送りつけましょう」と進言~
チャプター③ 解説「関羽を手厚く葬った曹操だったが、その後も眠れぬ夜が続いた…」~
チャプター④ 横たわる曹操の枕元に家臣たちが集まる~
~日没。解説「漢朝建安 25 年(AD220 年)、曹操は洛陽で病没。享年 66 才であった」。
本第 60 集は、関羽が呉軍に殺された後、その事件をめぐって呉、魏、蜀の長である孫権、曹操、
劉備と、その家臣らの思惑が渦巻く様子が描かれている。つまり、それぞれの国では、以下のよう
な提案がなされ、本第 60 集ではその提案どおり事が運ばれる:
国 名 提 案 者 提 案 内 容
呉 張昭(→孫権) 関羽の首を曹操に送り、呉が関羽を殺したのは、あたかも曹操の差し金
であるように見せかけ、劉備(蜀)が曹操(魏)を攻撃するように仕向けま
しょう。
↓関羽の首を曹操に送るよう孫権(左/背中)に提案する張昭(右/正面)
魏 仲達(→曹操) 呉から送られてきた関羽の首を曹操殿が手厚く葬ることにより、劉備の
怒りを曹操殿に向けさせず、孫権(呉)を攻撃させましょう。
- 3. 蜀 孔明(→劉備) 呉は関羽の首を魏に送り、魏では関羽を手厚く葬った。その心はお互い
相手に罪をかぶせ、蜀が自国以外の国を攻めるように仕向けている。だ
から蜀としては、今はいっさい兵を挙げず、呉と魏の関係が悪くなった
時を見計らって兵を挙げるのが良策です。
↓「呉と魏が戦うように仕向けましょう」と提案する喪服姿の孔明
もし、上記のような状況のまま、三国とも兵を挙げず、にらみ合いの状態が続けば、三国時代は末
永く続いていっただろう。しかし、次の第 61 集にはいると、蜀の劉備は孔明の提案を撤回、関羽
の仇を討つべく、呉討伐に出かけてしまう。 三国の均衡が崩れる日は近い!
↓オマケ画像
ひどい頭痛持ちの曹操(赤い服)、名医・
華陀(白い服)を呼んで診てもらったと
ころまでは良かったが、華陀に「頭を切
り開いて悪いものを出しましょう」と言
われたため、かつて吉平が自分を毒殺し
ようとしたのと同じだと勘違い。
華陀を拷問にかけて殺してしまう。
そして、そのため、自らの治療のチャン
スをフイにしてしまう。