8. 8 月 5 日:
新晶体は従来研究者が腺内主成分を分離し得ざりしと雖も、その化学的反応によりて主成分の特徴
を予示したる処と符号するを以て、いよいよ主成分分離は我ラボラトリーに於て成功したるを確信す
るに至れり。
8 月 13 日:
アンモニアにてアルカリ性となすに、たちまちにして白色美麗の針状結晶は析出す。
8 月 21 日:
余の実験の証する限界内にては、新晶体はエーベル教授のエピネフリンとは異なれるや明らけし。
明治調スタイルで、アンモニアを安門、エーテルを依的留、アルコールを亜留古保留などと記載
してあるので多尐わかりづらいが、アドレナリンを結晶化したのはまぎれもなく、弱冠24歳の上中啓
三であったことが読み取れる。
高峰譲吉の評価
アドレナリン(adrenalin:高峰は末尾に e を付けない)の結晶化に成功した翌年 1901 年の高峰博
士の学会活動は凄まじい。1 月下旬には、New York の Society of the Chemical Industry で結晶化
の成功を発表した(J Soc Chem Indust 20: 746, 1901(抄録))。4 月 27 日には、何と、Abel の本拠
地である Baltimore の The Johns Hopkins Hospital University で口演した。6 月 4-7 日には、
Minneapolis の 52nd Annual Meeting of the American Med Assoc で口演した。ついで、9 月 16-21
日には St. Louis の The American Parmaceutical Assoc で、10 月 15 日には、Philadelphia の The
College of Pharmacy において発表した(Philadel Med J 7: 819, 1902 (抄録))。さらに、12 月 3 日
には、英国 Edinburgh の Meeting of Medical Men of the School of Medicine において発表した
(Scotish Med Surg J 10: 131-138, 1902)。12 月 14 日には、London の The Physiological Society
において代理報告させた(J Physiol 27; Proc Phisiol Soc 29-30, 1902 (抄録))。
以上の発表は欧米の学界に大きな衝撃を与えると同時に、称賛を受けた。汽車と船しか移動手
段がないこの時代に 1 年の間にこれだけの都市を精力的に移動し、成果を学会発表したということ
は、余程の手応えを感じていたからに相違ない。もちろん、米国と英国でアドレナリン製造に関する
特許を申請した。
高峰博士は、7回に及ぶ学会講演で次のように述べた。「昨年の夏、私は活性物質たる塩基を
安定な結晶として抽出することに成功したので紹介したい。私は、この分野において決して先駆者
ではないが、従来の研究者は誰も活性成分を結晶として取り出していないし、彼らの間で激しい論
争が続いていることを承知している。私は、自分が抽出した活性物質をアドレナリンと命名した」パ
ーク・デービス社は、早速、ウシの副腎 240Kg から 200g のアドレナリンを精製し、その結晶の 1,000
倍希釈液を作って全米の病院で臨床試験を行った。その結果は推して知るべしである。1903 年に
はアドレナリンは Adrenalin (Takamine.)としてパーク・デービス社は全世界で発売開始した(日本で
8
10. 病の譲吉を、リスクを覚悟で列車を止めてシカゴの病院へ搬送し、開腹手術を受けさせるほど肝っ
玉がすわった妻君である。しかも、博士の没後 23 歳年下の牧場主と再婚し、譲吉の孫二人を育て
つつ 30 年連れ添った。譲吉と共にニューヨーク・ウッドローン墓地に眠るが、このようなスーパー・レ
ディーを妻に迎えたのも、譲吉の才能の一つであったに違いない。このセミトリーの案内板には、
高峰譲吉は「近代バイオテクノロジーの父(Father of modern biotechnology)」と記されている。
高峰・上中両博士のアドレナリン結晶化の70年後の 1970 年に、スウェーデンの U.S. von Euler
は、メチル基側鎖を欠くアドレナリン、すなわちノルアドレナリンが神経伝達物質の一つであることを
発見して、ノーベル医学生理学賞を受けた。これは、70年前の高峰の業績自身がまぎれもなくノ
..
ーベル賞に価していたこと、アドレナリンの研究が発酵酵素学や内分泌学だけではなく、今日、神
..
経科学分野にまで波及していることを意味する。アドレナリンを分泌する副腎髄質細胞がニューロ
ンに最も近い内分泌型パラニューロンであることは、今日、研究者の常識となっている。高峰・上中
両博士がベンチャーに走らず副腎に関する基礎研究を続けていれば、さらなる大発見も出来たか
も知れない。
最後に、著明なジャーナリストであると同時に教育者でもあった John H. Finley 博士による高峰
博士追悼の詩を紹介したい。
Time will dim the memory of his face, but it will only multiply his service to mankind, for
wherever the substances of his discovery are used to assist a surgeon or physician, there will Dr.
Takamine be present.
‘Born Samurai, a Far East Knight,
He yielded his two swords to fight,
With science’ weapons mans’ real foes,
To lengthen life and stanch it woes.’
by John H. Finley
10
11. 参考文献
1) Takamine J. : Adrenalin, the active principle of the suprarenal glands, and its mode of preparation.
American J Pharmacy, 73:523-531, 1901
2) Kawakami K.K. : Jokichi Takamine, A record of his American achievements. 1-74pp. William Edwin
Rudge, New York, 1928
3) 都築洋次郎、山下愛子 : アドレナリンの発見史—本邦科学者の独創性にかんする化学史的研究
科学史研究 47:1-8, 1958
4) Miles Inc. (Preface by Bennett) J.W. : TAKAMINE: Documents from the dawn of industrial
biotechnology. 1-49, 1988
5) 佐野 豊 アドレナリン発見への道程 ミクロスコピア 6: 194-200, 1989
6) 菅野富夫 アドレナリン発見 100 年の光と陰 —高峰譲吉と上中啓三の共同研究に学ぶー ミクロ
スコピア 17:98-105、2000
7) 菅野富夫 アドレナリンとエピネフリン: 最初のホルモン結晶化競争 -アドレナリン発見から 100 年
- 、現代化学 357:14-20, 2000
8) 飯沼和正・菅野富夫 高峰譲吉の生涯 アドレナリン発見の真実 1-347 頁、朝日新聞社 2000 年
9) アグネス・デ・ミル著、山下愛子訳 —アドレナリン発見 100 年記念— 高峰譲吉伝 松楓殿の回想
1-303 ページ 雄松堂出版 2000 年
10) 佐野 豊 国際組織細胞学会主催 「高峰譲吉のアドレナリン発見百年記念シンポジウム」講演 —
副腎の宝探し:百年前の熾烈な競争— 2000 年 6 月 24 日 金沢
11) 山嶋哲盛 : 日本科学の先駆者 高峰譲吉 岩波ジュニア新書 375 1-184 頁、岩波書店 2001
年
12) Aiko Yamashita. : Research note on adrenaline by Keizo UENAKA in 1900. Biomed Res, 23: 1-10,
2002
13) Yamashima T. : Jokichi Takamine (1854-1922), the samurai chemist, and his work on adrenalin. J
Med Biogr. 11:95-102, 2003.
お断り:本論文は、杏林書院発行の「体育の科学 59(8):518-527, 2009」に発表した。
11