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『遅延と迂回と多層による人工知能における意識構築』 2017.10.27 PBJ シンポジウム
三宅陽一郎 y.m.4160@gmail.com
デジタルゲームにおけるキャラクターに意識を作る研究が行われている。そのヒントとなるのが、ベルクソン
における「遅延」の概念である(図1)。ここではそのあらましを解説する。
図1 ベルクソンの神経系の遅延のイメージ
生物は身体・知能を持ち、環境の中で運動する。環境の中で、生物は、身体を通じて物理的な干渉を受け、知
能によって情報を取得する。生物は物理的影響と情報的な取得の中にある。また、一方で、身体を通じて世界に
影響を与え、発話などによって情報を発信する。つまり生物は物理的なレイヤーと情報のレイヤーの二つのレイ
ヤーを持つ。生物の中ではこの二つのレイヤーは自然に結びついている。
デジタルゲームのキャラクターもまた身体と知能を持ち、ゲーム世界の中で運動する。身体はゲーム世界の中
で物理的インタラクションの中にあり、知能はゲーム世界の中の情報的インタラクラクションの中にある。とこ
ろが、身体のレイヤーと知能のレイヤーをいかに接続するか、という問題は、人工知能の未解決な問題である。
身体と知能をつなぐ、いくつかの手がかりとなるモデルが4つある。(1)エージェント・アーキテクチャ (2)
サブサンプション・アーキテクチャ (3)ベルンシュタインの動作構築モデル、(4)ユクスキュルの環世界モ
デル、である。
(1) まずエージェント・アーキテクチャはあらゆる人工知能の基本モデルである。これは、環境と知能の関
係をいくつかのモジュール(部品)「センサー」「認識」「意思決定」「行動生成」「エフェクター」で構
成するモデルである(図 2)。[参考文献(2)]
(2) 次にサブサンプション・アーキテクチャは、1986 年に、MIT のロドニー・ブルックス博士が考案した
モデルで現在の多くのロボットの基本アーキテクチャとなっており、知能を複数の独立したレイヤー
に分けて構成しつつ、そのレイヤーの間に上位が下位を抑制/解放できる権限の階層を付けたものであ
る。ただゲームに応用する場合、より簡略化したモデルを用いる(図 3)。[参考文献(3)]
図 2 エージェント・アーキテクチャ
図 3 サブサンプション・アーキテクチャ
(3) ニコライ・ベルンシュタイン(1896-1966)の動作構築モデルとは、身体の運動の構成を身体の自由度
を徐々に制限して行く四つの階層から動作を構築するモデルである。即ち身体のバランスをとるレベ
ル A「緊張のレベル」、関節の連合による運動の原型を作るレベル B「筋-関節リンクのレベル」、空間
にその運動を合わせるレベル C「空間のレベル」、運動を連鎖して運動全体を作り出すレベル D「行為
の連鎖のレベル」である(図 4)。[参考文献(4)]
(4) ヤーコブ・フォン・ユクスキュル(1864-1944)の環世界モデルとは、最初から世界と結びついた存在
として知能を規定する現象学的なモデルである。生物はその生態に応じて、対象の中に感受する指標
と、行動の目標となる指標を持ち、対象の感受する指標を認識すると、行動が促されるように環境に埋
め込まれているとします。そのような世界とのつながりが複数集まって生物固有の主観世界が構築さ
れる(図 5)。[参考文献(5)]
図 4 ベルンシュタインの動作構築モデル
図 5 ユクスキュルの環世界モデル
ここで、見られる4つの構造には、「遅延」が内包されている。エージェント・アーキテクチャでは入力される
情報・物理的力が身体・知能の中でさまざまな迂回路を通って行動を生成し、また一旦記憶に蓄積されてから、
行動の糧となる。またサブサンプション・アーキテクチャは、知覚から行動へ至る経路を迂回し、遅延させる。
ベルンシュタインの動作構築モデルは、下位のレベルを先導的レベルと呼ぶが、知覚が知能に向かって幾重にも
反響する輪を形成する構造[参考文献(1), P.140、図]とは逆に、世界へ向かって幾重にも行動の輪を収束させて行
くことに対応している。環世界は、世界から複数の興奮が来て、複数の運動を生起されるが、直ちに行動を行う
ことなく、それぞれ生起する運動の開始を保留させ一つの行動を選択する。環世界モデルには、これを可能にす
る「対世界」(中枢神経)が中心に据えられており、これが知能の起源となる。
ゲームキャラクターには、これら4つのアーキテクチャを統合したアーキテクチャを用いる(図 6)[参考文献
(5)]。世界と知能を結ぶのはエージェント・アーキテクチャであり、サブサンプション・アーキテクチャが構築
される。サブサンプション・アーキテクチャの最下層は環世界モデルとなっている。上位から下位へ向かって行
為が生成されて行くものは、ベルンシュタインの動作構築モデルに沿うものである。また各レイヤーにおける自
己と対象の像がある(図 7)。
図 6 最終的なキャラクターの知能のアーキテクチャ
各レイヤーの意思決定機構においては、複数の行動プランが同時並行的に計画されており、それらが自身の実行
機会の獲得に向けて競合している(図 8)。下位の行動プランは上位のレイヤーへ提案され、上位が取捨選択を行
う。これによって行動プランから行動プランへの滑らかな移行が遂行されるものとなるのである。そういった意
識下から提案されて来る複数の行動プランに対する実行許可、実行中止を与えるのが意識の役割であり、またそ
れによって意識は選択的な自由を超えて、自分自身を自在に操れるという自由性を感じることになる。つまり意
識は、自らの主体であると同時に、自分自身が選択した行動プランの主体となり続けることで、行動から行動へ
とそれぞれ自ら選択した行動の主体から主体へ遷移しながら意識を構成している。
図 7 自己と対象の階層構造
図 8 下層の競合プロセスからの意識の生成
[参考文献]
(1) アンリ・ベルクソン「物質と記憶」合田正人、松本力訳、ちくま学芸文庫
(2) Youichiro Miyake, “Current Status of Applying Artificial Intelligence in Digital Games”, Handbook of Digital
Games and Entertainment Technologies, Springer, 2015Brooks, R. (1986). “A robust layered control system
for a mobile robot”. Robotics and Automation, IEEE
(3) ニコライ・ベルンシュタイン「デクステリティ 巧みさとその発達」金子書房
(4) ヤーコブ・フォン・ユクスキュル「生物から見た世界」岩波文庫
(5) Youichiro Miyake, ”A Multilayered Model for Artificial Intelligence of Game Characters as Agent Architecture”,
Mathematical Progress in Expressive Image Synthesis III, Springer, 2016

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